草原の風(上)
宮城谷昌光
後漢を建てた光武帝の物語。
同じ劉姓ではあるが本家とは遠い血筋。
蓄財の方法としては、銭に銭を産ませることが速成であることはわかりきっている。そのわかりきっていることをおこなう人が寡ないことも事実なのである。劉糸寅は農作物を、銭と銭との間に、介在させている。その農作物には、人がかかわり、天と地がかかわっている。こういう過程があることが人を深くし豊かにもする。ところが銭と銭の間に何もないというのは、どうなのであろう。そこには、人が生きてゆく上で、根源的な、あるいは不可欠な対話がないといえよう。それゆえそれを生業とする家からは豊潔な人格が育たない。
人生の旅立ちは、独歩でなければならない。おのれのほかにたれもいないという覚悟でみる山川と邑および人々の光景がこれからの人生の財産となる。
この人は、どこに行っても、良い師になるだろうな。
韓子のことばにはよけいな飾りがないのに、貧しさも卑しさもない。学問で鍛えてきて、人格の灰汁を抜いたのだ。劉秀はそう意った
男子が志をもてば、かならずためされる。人にためされ、地にためされ、天にためされる。ただし天にためされる者は、数百年にひとりの人だ。
クラッシックの序曲っぽいところが宮城谷昌光作品。
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