ニコ動の生みの親、川上量生(著)
今年のバルス祭で、川上さんを知る
→ こんな人の良さそうなITベンチャー代表がいるかと感心(ジブリの鞄持ちってのもよい)
→ ニコ動が楽しくなってくる
← 一人でもみんなでみている疑似ライブ感、マニアな解説、ヲタ芸付きな動画
→ そうこうしているうちに川上さんの本がでた
多くの人たちは、必要以上に現在の状況を単純化して考えたがるものですが、現実社会のゲームはそんなに簡単なものではありません。そして複雑なゲームであるがゆえに戦略は単純にならざるをえない、そうした構造があるのです。
「勘違い」と「先見の明」は紙一重である
そのプロジェクトがたまたま成功した場合に限って、その勘違いが「先見の明」だといわれるのです
そこで僕が見つけた答えがあります。それは、「コンテンツとは、わかりそうで、わからないものである」という定義です。
世界的に見ても、日本のネット文化はかなり特殊な部類に入るはずです。ニコニコ動画もその典型ですが、ほかの国にはないエネルギーを内包しています。
そのエネルギーは、「教育水準の高いヒマ人が多い」「ネットにつなげられるヒマ人が多い」という根源的なところから生まれています。
もともとニコニコ動画は、「実際はリアルタイムではなくても、そんなニュアンスのライブ感覚を楽しめる」という部分が受け入れられたのだと考えています。
僕とはじめて会ったときには「ニコニコ動画によって愛と平和を世界に広げる」みたいなことを言っていたのも覚えています。そのときの言い方や表情から、「あ、こいつ、マジだ」というのがわかって、対応に困りました。
テレビゲームの致命的な欠点
- 人間が、コンピューターの決めたルールに従ってゲームをプレイする。
- 反射的な思考能力の早さを競うゲームがほとんどである
- コンピューター相手にゲームをやっても人間との付き合い方は学べない
そして、
川上量生さんは京大工学部卒だったんですね。
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