2014年4月14日月曜日

宮城谷三国志 第十巻

三国志 第十巻
 (文春文庫 み 19-30) [文庫]
宮城谷 昌光 (著)

蜀という帝国は、まるで無から生じた有である。劉備というたったひとりの男が虚空に画いた国を幻抹にさせないで、地におろし、すえつけ、現実のものにしたのである。このようなふしぎさをもった人は、劉備のまえには漢の高祖(劉邦)しかいない。
――われは奇蹟の立会人であったのか。
諸葛亮はそうおもう。いまや実際に劉備に会った人はすくなくなっている。

――すぐれた人になるには、すぐれた人に会わなければならない。
自明の理というべきであろう。

官署に集まって意見を述べあうということは、多くの感想が思想が集合することであり、忠義と利益がふえることである。

王平は叱声を吐いたつもりであったが、なぜか、急に声が嗄れて、目頭が熱くなった。
「丞相のお帰りである。道をあけよ」

為政者は最初が肝心である。官人と庶人が喜ぶことをまずおこなう。


宮城谷三国志では、孔明は戦術ではなく戦略派。

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