2013年10月15日火曜日

いよいよ出師の表 宮城谷三国志9

三国志 第九巻 (文春文庫)
宮城谷 昌光 (著)

――凡庸な頭はつねに無難を求める。
魏延は怒鳴りたくなった。無難を求めるのは悪いことではない。が、真の無難を知る者こそ兵法の天才であり、ここでは戦いにそなえていない者をすみやかに伐つことが無難といえるのではないか。それ以外の途には強敵が待っていると想うべきである。

――弱を兼ね、昧を攻め、乱を取り、亡を侮る。(『尚書』)
というのが王者の攻略法であり、いまの蜀は弱くもなく、君主と宰相が暗愚でもなく、内乱が生じているわくでもなく、亡ぶ兆候をみせてもいない。要するに、今回の遠征は曹真の意欲がさきばしった形であり、固い岩に矢を放ち戟で刺そうとするようなものである。

若いということは許容量を不足させる。孫策が四十代であったら、人を許すという度量をそなえていたであろう。天下の群雄をながめてみて、敵対していたのにその才能が天下のために役立つとみぬいて、その者を許して擢用したのは、曹操だけである。それほど人を許すということはむずかしい。そのむずかしいことをやりぬいたところに曹操の非凡さがある。
残念ながら、孫策は情念を知性で制御する人格的高みに至っていなかった。

ここからさきは、歴史ではなく、小説の領域ということになる。


吉川三国志ではあれだけ感動的だった「出師の表」があっさり。
演義と史実の違いが興味深い。
楽毅、管仲に比べると孔明は一段下か。


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