2013年10月3日木曜日

「図南の翼」 十二国記

図南の翼 十二国記
小野不由美

蔡晶、乾より黄海に入る。
漢文にすれば四行の歴史。供王即位の物語り。

「俺が雇われたのは、器量の問題じゃない」
「巡り合わせの問題だ。その巡り合わせこそを、器量と言うんだ。少なくとも黄海じゃ、あ、人格にも容姿にも何の意味もねえ。他人を――一国を巻き込めるほどの運の強さ、それが王の器量ってもんなのさ」

「助け合う、ってのはお前、最低限のことができ人間同士が集まって、それで初めて意味のあることじゃねぇのかい。嬢ちゃんの気持ちは分かるが、できる人間ができない人間をただ助ける一方なのは、助け合うとは言わねえ。荷物を抱えるってんだ」

「道っていうのは、平らな地面が続いていることじゃないいんだわ。そこを行く人が、飢えたり渇いたりしないような、疲れたら休んだりできるような、そういう、周囲の様子ごと道って言うのよね。だから確かに、黄海には道がないのよ」

利広はくすくすと笑う。
「だからね、それは王に支配される者――臣下の理屈なんだよ。そして玉座に就く者は、臣下であってはいけない。王だから玉座に就くのであって、玉座に就いた臣下を王と呼ぶのではないのだから。ゆえに王は臣下の理屈を超越せねばならない」

「ひもじい、怖い、辛いなんて、愚痴を言って人を妬む暇があれば、自分が周囲の人を引き連れて昇山すればいいわけじゃない。昇山して初めて、愚痴を言っても許されるんだと思うのよ。それもしないで、嘆くばっかり――って、よく考えたら自分のことなんだよね」
頑公は生真面目そうに首を傾ける少女を見つめる。
「どうして誰も王になろうとしないんだ、王は現れないんだ、って怒っておいて、自分には王になんてなれるはずがない、そもそも蓬山なんて行けるはずがない。これってぜんぜん同じじゃない。だから、まず自分で行こうと思ったの。黄海に行って帰ったら、あたし堂々と、やるべきことをやってから嘆けば、って言ってやれるわ。妬まれたって羨まれたって、あたしは恵まれてるぶん、やるべきことをやったもの、って言える。そしたらもう、無理に官吏になろうとか思わないで、好き勝手にできるのよ」

珠晶は南へとやって来た。この、黄海という水のない海へ。
――背は泰山の如く、翼は垂天の雲の如し。
羽搏いて旋風を起こし、弧を描いて飛翔する。雲気を絶ち、晴天を負い、そしてのちに南を図る。南の海を目指して。
(…図南の翼…)
その鳥の名を、鵬という。
大事業を企てることを図南の翼を張ると言い、ゆえに言うのだ、王を含む昇山の旅を、鵬翼に乗る、と。

「お前、そんな心配をしてどうする。王が登極すれば、妖魔は出なくなるんだ」
「それよ。そう言って、これまで誰も荒廃に備えておかなかったのが敗因だと思うわ。王様がいる間は、いいじゃない、取りあえずみんながんばって稼ぐだけよ。本当に考えて備えておかないといけないのは、王が斃れて以後のことなのよね」

「――だったら、あたしが生まれたときに、どうして来ないの、大莫迦者っ!」



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